札幌建築鑑賞会、「きー すとーん72号より
桑園地区で出会った“教会風古民家”−その謎をひもときます
アトリエ ランプ
札幌市中央区北7条西17丁目7−19
北7条西17丁目、桑園小学校に 程近い場所に、ちょっと目を引く古民家があります。 「あの変わった建物はなんだろう…」。その想いに駆られる人は意外に多いかもしれません。 古い木造建築で、三角屋根の鋭角傾斜、玄関の装飾的アーチ構造は教会を彷彿とさせ、異彩を放っています。 この建物のいまの主は、「人仏画」画家こと黒田晃弘さん。 『アトリエ
ランプ』として2014(平成26)年12月から、ここで活動を始められました。
新たな拠点を探していた黒田さんは、建物と偶然出会う前日に「白昼夢のごとく、この建物のイメージが頭に浮かんできた」そうです。 「運命の出会いであった」と、回想されていました。
当初、この極めて個性的な古民家の出自は不明で、所有者も解らなかったとのこと。 「昭和初頭に、教会建築に造詣が深い大工職人が建てたのではないか」と、黒田さんは推測されておられたとか。
ところが、2015(平成27)年の秋口、ふらりと
見知らぬご老人が訪ねてこられ、劇的な出自判明に到りました御歳85歳という老紳士は「この建物は私の父が設計、建てたものです」と、口を開きました。 なんと、この方の生家であったのです。お父上は市内の老舗建設会社
伊藤組で事務をされていた方だそうで、設計も出来たことから、この地に自ら設計した教会風の自宅を建てられたのです。 右の写真はその2年前に試作として予定地に隣接して建築されたもの
※現存せず といい、後方には当時の桑園小学校の校舎が見えるなど、大変貴重な1枚です。 建て主は、日中戦争が勃発した1937(昭和12)年に大陸で戦死されたそうで、その後
ご遺族の一家が暮らしていましたが、1975(昭和50)年頃、ご子息である老紳士が市内他区へ転居された際、建物も手放したとのこと。 とはいえ、その後も思い出深い生家への愛惜捨て難く、現存するか否か、時折確かめに足を運ばれていたのです。
建物の沿革をまとめると、1930(昭和5)年に創建、1975(昭和50)年頃までご遺族が居住、その後人手に渡って大学生の学生寮として利用され、2003(平成15)年頃から10年あまり空き家の時期を挟み、2014(平成26)年から『アトリエ
ランプ』として再活用、現在に至ります。
画家である黒田さんは、「アトリエの活動を通して、地域、家族の思い出をつくりたい。札幌の歴史を見てきたこの建物を通して、札幌の原点を見て欲しい」と、おっしゃられていました。画家のアトリエというと敷居が高い印象がありますが、ここは違います。この美しい教会風古民家と黒田さんの温かい「人仏画」を見に、是非一度足を運んでみてください。
ホームページ:http://8-lamps.com メールアドレス:jackuro1970@gmail.com 菊地敦司(札幌建築鑑賞会スタッフ) |
札幌建築鑑賞会、「きー すとーん71号より
軟石や
札幌市南区石山1条2丁目9-22 (090-9425-0573
8月12日、札幌軟石の端材を活用した商品の工房『軟石や』をかつての採石場に程近い
石山の地でオープンいたしました。
辻石材工業に在職中、製品づくりの際に出る軟石のカケラが廃棄物として埋められてしまうことが切なく、大好きなツル目をモチーフにマグネットを試作したのが『軟石や』の始まりでした。
“軟石愛”に満ちた札幌建築鑑賞会の皆さんから多くを学び、軟石の魅力を少しでもお伝えできたらと制作を続けるなか、不思議なご縁が重なって、この建物をお借りすることになったのです。 もとは石工であった高柳さん(大家さんのお祖父様)の自宅として1953(昭和28)年に建築されたもので、今年の春までは複数の入口と台所を持つ貸室として使われていました。 丹念に積み上げられた石造りの三角屋根の家は、当店の商品“かおるいえ”(アロマストーン)をそのまま大きくしたかのようです。 大家さんは、「こんなボロ屋で店を?」と訝しがりましたが、幼い頃から石の建物に憧れていた私にとっては願ってもない物件。 大幅な改修は行わず、できるだけ以前の姿を保って使わせていただいています。 石山方面へお出かけの折には、どうぞお立ち寄りください(お電話いただければ幸いです)。 小原
恵(「軟石や」代表・札幌建築鑑賞会会員)
※営業/10時〜18時(木曜日定休・イベント出店時不在) ※http://212a-a.jimdo.com/
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Little Fort Coffee 〈リトル フォート コーヒー〉
札幌市白石区東札幌2条3丁目4-3 ((011)
799−4150
地下鉄東西線「東札幌」駅を降りてすぐ、閑静な住宅地の角に
素敵なカフェが佇んでいます。 『Little Fort
Coffee』−昭和の雰囲気を色濃く残す二階建て木造アパートの一部を改装し、昔からそこにあったがごとく街に溶け込んでいます。
店主の橋本さんご夫妻が この建物と出会ったときは
すでに空き家状態で、その後、家主さんと交渉して店舗用にリフォームされたそうですが、床が傾くなど、限られた予算で建物を再生させるのには
大変なご苦労があったようです。 2013年12月オープン。白に統一された内装がコーヒーの色と対照的に相まって、落ち着いた空間を提供しています。 喫茶部分はきれいに改装されていますが、手洗いに続く廊下や元玄関などに漂うのは、まさに昭和の残り香。 家主さんによると建物は
築60年ほど経つそうで、当時は国鉄千歳線が近くを走り、周囲は田んぼだったとか。 今の東札幌の街並みからは想像もつきません。
ちなみにLittle Fortとは「小さな砦」の意。 自分だけの秘密の場所、わくわくするけれど
なぜだか落ち着く場所、なるほどピッタリ当てはまります。コーヒー教室も開講されている店主のこだわりの一杯とともに、皆さんも憩いのひとときを…。
菊地敦司(札幌建築鑑賞会スタッフ)
※営業/12時〜18時30分(水曜日定休) ※ http:// littlefortcoffee.com/
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札幌建築鑑賞会、「きー すとーん68号より
古さと新しさの共存が 不思議な魅力のショップ&ギャラリーです
しまくま堂
札幌市南区簾舞1条2丁目5-21 (050-5884-0832
旧黒岩家住宅(簾舞通行屋)のほど近くに建つ、2軒の古い木造家屋。 雑貨店『しまくま堂』と
店主の金野抄織さんご夫妻の住宅です。 たまたま通りがかって以来、お二人がずっと気になっていたという腰折れ屋根の建物が
借り手を募集していたのを知り、五年前、ここに居を構えられました。 そして今年の春、空き家となった隣の小さな家で、東欧の雑貨を中心に取り扱うお店を始められたのです。
なんとも鄙びた印象のこの建物は、もともとは80年ほど前に別荘の離れとして造られ、広いお庭は回廊式だったとか。 ご夫妻が現在住まわれている建物が、別荘の母屋だったそうです。 店主の金野さんは
この小さな別荘にとても愛着があり、「お店を開いたことで
この家のことをたくさんの方々に知ってもらえてよかった」とお話くださいました。 店内には色とりどりの雑貨が
ところ狭しと並んでいて、まるで蚤の市のよう。商品も建物も、金野さんの愛情がたくさん注がれていることがわかります。 年内の営業は11月末頃までで、残念なことに建物は来春には取り壊される予定です。 雪解けが早ければ
短い間だけでもお店を開けるそうですので、ぜひ足を運んでみてください。
中川阿梨紗(札幌建築鑑賞会スタッフ)
営業/毎週金・土・日曜日 11時〜19時 ※http://www.cimacuma.com/ |
MUSEUM 〈ミュージアム〉
札幌市中央区南3条東2丁目6 ((011) 596−7752
二条市場のすぐ隣に、北海道のクリエーターの発信拠点が誕生。 札幌軟石の大きな倉庫で、大正時代のものと伝わっています。 1928(昭和3)年発行の『最新調査
札幌明細案内圖』によると、当時の持ち主は「北海製靴合資会社」。 ゴム靴、運動靴、革靴、地下足袋のほか
鞄、雑嚢、スキー、旅行具も取り扱う問屋さんだったようです。
2014年3月からスタッフ4人で改装を開始。「積もった埃の舞う中で、壁を外せばまた壁が出、天井を外せばまた天井が現れる」(店長の木下
綾さん 談)ような過酷な作業だったそうですが、「19cmの婦人靴が出てきたり“営業七訓”の張り紙が現れたりするのを楽しみながら」(同)6月にオープン。
するとご近所の高齢のご婦人方が訪ねてこられ、「よくぞ昔の姿に戻してくださった」と喜ばれたとか。 1階はファッションを中心としたセレクトショップ。 現代アートのコマーシャル(商業)ギャラリーになっている2階では、前述の“営業七訓”を見つけることができます。 作品の鑑賞(+購入の検討)の折に、そちらもぜひご確認ください。 往時の店主のしっかりとした心意気が伝わります。 現代北海道の作り手たちの拠点で、商業の基本の基本を見られるなんて、いいね!
中村祐子(札幌建築鑑賞会スタッフ)
営業/11時〜19時(毎週月曜日・第3火曜日定休) ※http://www. museum−store.jp |
札幌建築鑑賞会、「きー すとーん67号より
大正末期築の古民家が 情報発信基地として生まれ変わりました
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かっては五軒長屋だった
(1972年頃撮影) |
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「置屋」の面影を残す川辺の佇まい |
古民家gallery 鴨々堂(かもかもどう)
札幌市中央区南7条西2丁目2 ((011)596-7929
薄野の端を流れる鴨々川の畔に、まるで係留船のように佇む古い木造家屋。 大正末期に建てられたという
かつての芸者置屋です。 建設当時は五軒長屋と、置屋としては比較的大きな建物で、その頃を知る方からは「紫色の着物をきた綺麗な人が出入りしていましたよ」とのお話をうかがうことができました。
開拓使が設置を許した遊郭が軒を連ねていた薄野。 荒野を切り開き、街を創るという厳しい労働政策の一環として設けられたこの地区の歴史は、黎明期の札幌の裏面史でもあります。
薄野の栄枯盛衰を見てきた 豊川稲荷のある
南7条西4丁目は洋画家・三岸好太郎が誕生した地で、父親は通り一本隔てた遊郭に従事していたといいます。 私は、以前、三岸好太郎美術館で作品解説をしていたことがあり、彼が過ごしたであろう薄野や中島公園、大通などに関する古い文献にも触れてきました。
この建物が置屋であったに違いないと 窓の形状などから推測することができたのは、そのおかげかもしれません。ちなみに、場末とはいえ繁華街に程近いこの辺りは戦後、闇討ちの被害が相つぎ、鉄格子が張り巡らされた窓などに、いまも防衛の痕跡が見られます。
現在「鴨々堂」で私は、galleryを営みながら古建築物の保存活動を行っておりますが、解体を免れた建物に対しては
可能な限り建物が持つ記憶を継承し、地域性が感じられる活用の仕方をと、提案させていただいています。 建物を単に箱として捉えるだけでは、そこに培われてきたはずの文化や人々の営みに気付くことはできません。 地域と建物から見る未来予想図を、薄野の元芸者置屋で一緒に考えてみませんか。
石川圭子(鴨々堂店主・古民家鑑定士) |