(きーすとーん71号より抜粋)
『古き建物を描く会』報告
     ロシアビザンチン様式建築を訪ねて…

札幌ハリストス正教会
 8月30日の第53回『古き建物を描く会』は、豊平区福住にある「札幌ハリストス正教会」を訪れました。
 この建物は、札幌で唯一の日本ハリストス正教の教会です。 正教は東欧やロシアを中心に信仰されているキリスト教の宗派のひとつで、日本では1859(安政6)年に、 駐 箱館(函館)ロシア領事が 領事館の敷地内に聖堂を建てたのが 最初の伝来とされています。 明治以後、日本ハリストス正教の創始者である大主教 ニコライが 全国に広めました。 
 札幌のハリストス正教会は1888(明治21)年に創立され、1936(昭和11)年には「札幌顕栄聖堂」が 創成川沿いの南7条東1丁目に建てられましたが、1970(昭和45)年、札幌オリンピックに向けた道路拡幅工事のため解体。 翌1971(昭和46)年に福住へ移転しました。
 現在の聖堂は その際に新築された鉄筋コンクリート造ですが、もとの建物同様に、ロシアビザンチン様式を採用しています。
 日本国内の正教の聖堂建築には、「東京復活大聖堂」(ニコライ堂)のように ビザンチン様式の原型に近い形のものや、「函館ハリストス正教会」のように ロシアビザンチン様式のものがあります。
 ビザンチン様式は、箱型の建物の上に円蓋式の屋根がのっているのが その特徴です。一方、ロシアビザンチン様式は、聖堂のテント式(角錐形)屋根、キューポラ(玉葱型ドーム)、屋根やキューポラの立ち上がり部分のドラム(長方形の壁面を並べた鼓胴型の構造体)が その特徴です。 ビザンチン様式とロシアビザンチン様式では、建物の外観の印象は異なりますが、どちらも聖堂の内部天井は円蓋(ドーム)になっています。 これは、始まりも終わりもない完全、つまり神の有する資質・性格を表現するものであり、宗教的な意味があるとのことです。(※1)

 
イコンが掲げられた聖堂を見学
さて、ハリストス正教会に欠かせない存在が「イコン」です。 聖人の姿や聖書の場面などを表した絵画で「聖像」とも呼ばれます。「札幌ハリストス正教会」には、日本人初のイコン画家である 山下りん によるイコンが数多く飾られています。
 りん は、1857(安政4)年に生まれ、工部美術学校で洋画を学んだのち 23歳でロシアに留学してイコン画を学び、帰国後は日本各地のハリストス正教会のために多くのイコンを書き残しています。 イコンは正教の伝統的な画法に則って 書かれるものですが、りん のイコンには ルネサンス以後の西洋画の影響を受けた表現方法が用いられており、明るい色調や、人物の柔らかく温かみのある表情が印象的です。(※2)
 閑静な住宅街に不思議となじんでいる異国情緒あふれる教会は、複雑な形のため上手く描くのに苦労しましたが、参加者一同、楽しんでスケッチすることができました。         米田麻理子(札幌建築鑑賞会スタッフ)

※1 日本ハリストス正教の歴史や建築様式に関しては、函館ハリストス正教会で司祭を務められた 厨川勇 氏の著書『日本のビザンチン建築』を参考にさせていただきました。
※2 日本ハリストス正教会教団東日本主教教区のパンフレットによると、イコンは「描く」のではなく「書く」というのだそうです。



7月5日の第53回『古き建物を描く会』より
 旧 三谷牧場 
  (札幌市西区発寒8条13丁目)      
 三谷牧場がかつて使用していたサイロと牧舎は、JR発寒駅からさほど遠くない場所にありました。 明治39年、三谷源太郎はこの辺り一帯を農場として開拓。 現在は、JR線北側は工業団地となり、南側は発寒西公園やマンションなどの住宅地、さらには大規模ショッピングセンターなどへと大きく変貌しています。
 唯一遺る牧場施設は、通りから少し奥まったところにあり、『Cafe & lunch 斉藤ファーム』として見事に再利用されていました。 とくに感心したことは、ポプラ並木がそのまま幹線道路の街路樹に、またハルニレやポプラの大木が公園の豊かな緑として活用されていたことです。 これらの樹木を建物とセットで遺されたことは、地域の歴史を知るための貴重な財産を 後世に伝える 好事例となっています。          画・文 金 子 光 彦
 

 

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