(きーすとーん70号より抜粋)
[軟石発掘作戦番外編]
   シカゴで出会った「軟石ファミリー」

 出張で5日間シカゴに来ています。 今回はタイトなスケジュールでほとんど自由時間がなく、必ず見にいこうと思っていたフランク・ロイド・ライトのロビー邸も、次回を楽しみにすることになりそうです。 そうしたシカゴ滞在での唯一の楽しみは、毎日ホテルから会場まで歩きながら街の様子を見ることです。 シカゴの街並みはどこか札幌に似ています。 広い碁盤の目の道路に立ち並ぶ高層ビル。 そして、何より興味を惹かれたのは、ちょっと札幌軟石っぽい灰色の石がいっぱい使われていることです。 ゆっくり見る時間はないけれど、『札幌軟石発掘大作戦』の隊員として その石のことは調べなくてはと思い、早速いろいろ情報を集め始めました。
 シカゴの建物に主に使われているのは石灰岩(ライムストーン)でした。 なかでも多いのは、シカゴが属するイリノイ州の隣 インディアナ州で採れた「インディアナライムストーン(別称ベッドフォードライムストーン)」です。 インディアナライムストーンは結構有名で、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングのファサードにも使われているそうです。 実はこの石、建材の分類では「軟石」に含まれているので、同じ軟石ファミリーです。

インディアナライムストーンが使われている
シカゴ市役所
 ところで、シカゴにライムストーンを使った石造建物が多いことには歴史的な背景がありました。 1871年、シカコではアメリカ史上最大の火災と呼ばれるシカゴ大火が起こり、17,400棟以上の建物が全焼し、とくに木造建物の被害が多かったそうです。 このときの教訓から、シカゴ市は防火のため木造建物を禁止し、街を再建する時に多く使われたのがインディアナライムストーンでした。 防火に強いという理由で明治中期から札幌軟石の本格的な採石が始まったと言われているのと少し似ていると思いました。 ちなみに今のシカゴの市旗には4つの赤い星が付いていますが、左から2番目の星が大火を示す星だそうです。
 さて、ここからが本題ですが、シカゴのライムストーン貼り石造建物のなかで、とくに1890年頃から1930年頃まで作られた個人住宅には、「グレイストーン(灰色の石)」という別名が付いています。 石とはいえ、材料というよりファサードにライムストーンを貼った歴史的住宅の様式(スタイル)を意味します。このグレイストーン建築は、シカゴ市民にとってアイデンティティであり文化遺産のようなものだそうです。
ライムストーン貼りの住宅
(グレイストーンかは不明)
札幌軟石の”小叩き”を思わせる
同住宅の一部
 そして、札幌建築鑑賞会のように、シカゴにもグレイストーンを大事にする市民グループがありました。 「シカゴ歴史的なグレイストーンイニシアティブ」と言い、最初はNPO活動として始まり、今はシカゴ市、大学など研究機関も参加・支援しているそうです。 設立は2006年で『札幌軟石発掘大作戦』より一年後輩になります。 具体的には、グレイストーン建築が地域の誇りであり、コミュニティの文化遺産や文化振興に寄与するという考えのもとに、修理資金の支援、グレイストーン建物の認証制度作り、修理時のガイドライン作成、ワークショップの開催など様々な活動を住民とともに行っています。

 札幌と少し違うのは、行政すなわちシカゴ市が、グレイストーン建築の保存・継承のため大いに支援をしていることです。 イリノイ大学シカゴ校の報告書によりますと、2006年にシカゴ市は個人向けのグレイストーン修理資金として、100万ドル(約1億2千万円)の税金をTIF方式で提供することを約束しました。 TIFとは、事業完了後の固定資産税などの増税(見込み)を償還財源として 資金を提供する、アメリカ式の開発政策の一つです。 他にもイリノイ州の住宅開発局が33万ドル(約4千万円)の基金を提供したと報告書には記されています。 文化財でもない個人の財産、しかも住宅に対してここまで支援ができるのは、行政がグレイストーンを文化遺産として保存しようとする市民の意識を尊重し、さらに自らグレイストーンに強い愛情を持っているからだと思います。

 『札幌軟石発掘大作戦』も今年で10周年。市民の手で掘り起こしてきた文化遺産 札幌軟石の分布図から、物件がなくなる速度が少しでも減るような支援があってもいいかなと思いながら、シカゴで最も有名なライムストーン貼り建物の一つであるシカゴ市役所の前を歩きます。
                 張 慶在(札幌建築鑑賞会スタッフ・札幌軟石発掘大作戦隊員)2015/4


     札幌市公文書館所蔵のお宝 「朴沢家文書」
 札幌市公文書館で、建築の古い図面を閲覧させてもらいました。 昭和50年代に市民から寄贈された『朴沢家文書』です。 朴沢家は大工の棟梁を務めた家柄で、明治から昭和初期にかけて当主だった朴沢雄治は、伊藤組のもとで札幌の独立教会、旭川の偕行社などの建築に携わりました。
 下図(左)はその一つで、「札幌郵便局」の設計図の一部と思われます。 建物の正面を撮った写真(右)と比べてみると、アーチ型の窓やバトルメント飾りなどの意匠が酷似しています。 『朴沢家文書』には、札幌郵便局の「新築仕様書」も残っていました。 これには建物の細部にわたって詳らかに指示されており、とりわけ興味深かったのは、使用された石材に関する項です。 この郵便局が札幌軟石を用いて建てられ
札幌市公文書館所蔵
『朴沢家文書』より

札幌郵便局:1910年地区/大通西2丁目
(日本建築学会北海道支部『北海道の建築』1957年刊
たことは つとに知られるところですが、仕様書では、窓台や?(まぐさ)、迫持(せりもち)(アーチ)などには 札幌軟石以外の硬い石(登別産など)を使うように示されていました。
  『北海道における初期洋風建築の研究』で 越野武先生は 小樽の石造建築に言及され、建物の要所で硬度の高い石材を用いていることを述べています。 小樽の例に通じるものを 郵便局庁舎にも感じました。
  『朴沢家文書』にはこのほか、「バチェラー学園」の写真など貴重な史料が含まれています。 詳細については、個人ブログ『札幌時空逍遥』で3月に紹介しておりますので、ご覧ください。 
                 杉浦正人(札幌建築鑑賞会代表)

 

 TOP  札幌・小樽版画紀行 札幌建築鑑賞会通信 北海道の古き建物 建物観て歩る記
inserted by FC2 system