(きーすとーん68号より抜粋)
『ひとりでは歩けない (?) ススキノさんぽ』と題して、大人の遠足「初夏の編」を催しました。 “ススキノ”の名が醸す魅力ゆえでしょうか、定員に対し二倍近くの申し込みが殺到したため、今回は より多くの方に当会の取り組みを体験していただこうと、当初予定の6月28日のほか、7月5日にも急きょ実施。 合わせて70名が参加して「真昼のススキノ探訪」を楽しみました。
もとは芸者置屋だったというギャラリー鴨々堂も、今や珍しい建物だ。 古民家再生の見学の後、鯉の遊泳する鴨々川を散策し、建物をスケッチしていると、粋な和服を着こなした老婦人お二人(あたかも芸者さんのようだった)が川辺にひざまずいて花を摘み、お互い髪飾りにし合い、少女のように微笑みながら“園生橋(そのうばし)”を渡って行った。 その姿は、古朴な建物、レトロな欄干と相まって 往時を偲ばせた。 ♪すすきの街に灯がともる ほのかな明るい灯がともる…恋のかけらを散りばめながら…(札幌ブルース:青江三奈)。 いい歌だ。口ずさみながら、そろそろ目覚める界隈を後にした。〈S氏〉
昔日の花街の賑わいの片鱗や かつての経済成長の形跡も見ることができました。 それぞれ味わいのある建築物を解説付きで鑑賞でき、とても有意義でした。〈A氏〉 ▼古地図で記憶を辿るというのは、昔の建物を見る楽しさを倍増させてくれます。 嬉々として地図を広げているうちに、資料を作る作業や建築物を探し当てる努力とご苦労、その確認や聞き取りの心構えなどを想像して、感謝いっぱいの気持ちになりました。 楽しかった余韻がまだまだ残っています。 今度はどんな企画があるのでしょう。期待しています。〈S氏〉
「これから女性が一人では歩けないところを通ります」というガイドの声がした。 風俗店が建ち並ぶ中通りだ。 この通りにはふさわしくない(?)ご婦人の多い集団に、屯している あんちゃんたち は 声をかけることもなく怪訝そうに見ている。 と、立派なお屋敷が現れた。 煉瓦と札幌軟石とでできた高い塀が 一丁角のほぼ半分をぐるりと囲む 大邸宅だ。
明治時代の遊郭「薄野」の名残は、今日の「クリーンすすきの」からはほとんど見つけることができないが、微かに一か所、豊川稲荷にあった。 門柱や玉垣に当時の寄進者の名前「高砂楼」「昇月楼」などが刻まれている。 文字は薄れているが、往時を伝える貴重なものだ。 わずかな距離もくまなく歩くと、新しい発見がいくつもあった。 現役時代 足しげく通った「すすきの」であるが、いま思うと、行きつけの店に直行してクダを巻いたり 酔いつぶれては、タクシーに押し込まれて帰るばかりだった。 まさに「木を見て森を見ず」だったと、わが身を恥じるばかりである。 「夜のすすきの」に通わなくなってから、「すすきの」に詳しくなった。〈M氏〉 ▼鴨々川周辺はゆっくり歩いたことがなく、料亭や置屋さんの住宅が建ち並んだ時代の風景を想像し
古い街並みを意図的に残すことで近代的な街並みも生きてくることを世界中の観光地は提示しており、札幌も真摯に考えて欲しいものと感じます。〈I氏〉 ※紙面の都合上、掲載の感想文は原文から一部抜粋、また要約させていただきました。ご了承ください。 7月18日付「北海道新聞」で、7月5日の模様が紹介されました。 |
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