(きーすとーん67号より抜粋)
 札幌建築鑑賞会・札幌軟石文化を語る会 合同企画 
札幌軟石再発掘作戦が10年目を迎えました!

 

 「札幌市内の軟石物件を全部探し出そう」という《札幌軟石発掘大作戦》が、今年でいよいよ10年目を迎えました。 来年には全市の成果をまとめて発表できることを目指しています。
@ これまで隊員が調査した 中央・東・豊平・北・白石・南・西区の最新情報は? 
 「最近できた建物に札幌軟石が使われている」など、新たに見聞きした物件はありませんか?  また、「以前あった軟石の建物が解体された」という情報についてもお知らせください。
A 昨年に引き続き 厚別・清田・手稲区の軟石情報を募集中!
 発掘隊員の方に限らず、「こんな軟石物件を知っている」という情報をお寄せください。 建物だけでなく、塀、門柱、煙突、石畳、縁石、灯篭、狛犬など あらゆるものを対象としています。
 上記@Aの情報をお持ちの方は、ハガキ・ファックス・電子メールのいずれかで、氏名・連絡先・軟石の所在地や形状 を明記のうえ、当会あてお知らせ願います(宛て先はP.8末尾参照)。
B 秋に軟石交流会を計画しています…
 2005年からこれまで発掘隊員として活動されてきた方と 2013年・2014年に通信員としてご協力いただいた方を対象に、バスツアーを計画しています。後日、隊員および通信員の皆さんあてに詳しいご案内を差しあげます。どうぞお楽しみに!

【隊員リポート】  「アシリベツ川 軟石探訪記」(2)
大正期の地図に記された「石山」

 〈前号よりつづく…〉  清田区有明のTさんの雑穀蔵の軟石が付近の石切場で掘られたものと聞き、その場所を推理しました。
 まずは古地図をひもときます。 大正時代の地図でアシリベツ(厚別)川をたどると、「石山」という地名が記されていました。 地形は、切り立った崖のように見えます。 豊平川流域だけでなく、アシリベツ川にも「石山」があった…。※1
 次に、古地図を現在の地図に重ね合わせてみました。 ゼンリンの住宅地図を見ると、「石山」とおぼしきあたりに「岩本橋」という小さな橋が架かっています。 「蔵の石は、下流の‘岩本さん’のところで採れた」というTさんのお話に照らすと、採石の場所は岩本橋付近ではなかろうか。 その心証をもとに、再びアシリベツ川上流を探訪しました。
 岩本橋を渡って、坂道を上ります。 巨大な絶壁が見えました。 明らかに人為の跡、切羽です。 この場所は現在「株式会社 岩本石庭」の工事事務所となっており、敷地内には倉庫や塀、擁壁など軟石物件も多くありました。 こんなところに軟石秘境があったとは…。驚きです。※2

 
アシリベツ川流域の切羽跡
後日、「札幌軟石文化を語る会」の岩本好正さんを介して、岩本石庭 取締役の岩本任功さんからお話をうかがうことができました。 アシリベツの軟石は、明治時代から採掘されていたようです。 もともと、現在の南区石山で採石業を営んでいた岩本家が この場所を取得したのは 昭和 戦前期ですが、採掘が続けられたのは昭和20年代までと、比較的短命に終わりました。 軟石の質が悪かったため、南区に先立って採掘をやめたそうです。 軟石の質というのは、地学的な面からの確認を要しますが、溶結度の違いかと推測します。 呼び慣わしを確かめられませんでしたので、勝手ながら私は「アシリベツ軟石」と命名しました。
 清田区にあった、もう一つの軟石文化圏。 札幌軟石の‘兄弟’を、ここに発見することができました。 〈終わり〉          杉浦正人(札幌軟石発掘大作戦 隊員)
※1 地図は、1924(大正13)年 大日本帝国陸地測量部発行 五万分の一 都市近郊図「札幌近郊」(札幌市公文書館所蔵)から一部を抜粋したものです。
※2 アシリベツ軟石採掘場跡地は岩本石庭社有地のため、断りなく立ち入るのはご遠慮ください。


【隊員リポート】  旧 勇崎恒次郎商店の跡地で時間旅行…
 『レストラン旬の蔵』、『茶房 石乃蔵』として親しまれてきた旧 勇崎恒次郎商店の石蔵(中央区北1東2/昭和6年築)の解体が昨年11月から始まり、やがて更地になりました。 軟石造りの堂々たる風情を思い出しては落胆を抑え切れずにいましたが、その後、どうやら軟石は「 」の しるし や「青果輸出入問屋」の文字も含めて保存され、新築時には再利用されるらしいという情報が入ってきました。 小躍りしたいほどの気持ちで春を待っていたところ、あの石蔵には地下室が存在したことを知り、思いがけず、見学をさせていただく機会を得ました。

 さっそく駆けつけた札幌軟石発掘大作戦の隊員3名、そこで目にしたのは、煉瓦造りのムロでした。 許可をいただいて梯子で2.5mほど下りると、ムロは小部屋に仕切られ、ガス管がめぐらされていました。 そこから温かいガス(空気?)が各部屋に送り込まれてバナナが黄色に追熟され、出荷されていったわけです。 天井部分の鉄筋代わりに使われていたという 鉄道のレールも転がっていました。 ここに人間や日の光が入るのは 何十年
石蔵の地下に眠っていた煉瓦造りのムロ
ぶりかの出来事。 都会の真ん中で長いあいだ眠っていた地下ムロは、こうしてほんの数日間息を吹き返し、やがて、本当にその役目を終えました。 ひとときの時間旅行を、梯子というタイムマシンに乗って体験させていただきました。

古いものは壊され、新しいものばかりがもてはやされる昨今ですが、それで良しと思っていない人もたくさんいるのだということを、常に私たちは忘れてはいけません。 勇崎商店 ならびに 新築工事の設計を請け負っている(株)宮部ほか ご関係の皆様に感謝の意を表し、次のステップを楽しみに待つ隊員報告でした。 
           中村祐子(札幌軟石発掘大作戦 隊員)

 

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