(きーすとーん66号より抜粋)
人の遠足「秋の編」報告  南円山・・・来し方と行く末辿る街歩き
  大人の遠足「秋の編」が10月9日に催され、42名が参加。 古地図を片手に二時間半、南4〜6条西17〜26丁目界隈を散策しました。     ※掲載の感想文は 原文から一部を抜粋させていただいたものです。

▼ 円山の麓に広がる街並みは、都心でありながら今も落ち着きがある。 旧北星女学校宣教師館は斬新なカラシ色に濃緑のコントラストが映え、曲線の出窓と、異国情緒を醸す外観が美しい。 母国を遠く離れて 来道した宣教師たちの 教育に注ぐ情熱と孤高が偲ばれ、一層、秋雨に  けぶる その建物が時間を越えて際立ち 心に残った。 遠い記憶をたぐると、館内に展示された写真のDorothy M. Taylorは 大学時代の恩師だった。 いつも笑顔を絶やさぬ温厚な彼女が、突然 怒りを爆発させ授業中の私語を諫め
”かぼちゃ館”と親しまれる旧北星女学校宣教師館
O邸跡の高層住宅で往時の面影を探る
古民家×現代アートの「ギャラリーミヤシタ」

た光景や チャペルで一心に祈りを捧げる姿など 懐かしく思い浮かぶ。
 住宅街に、田上義也氏設計の建物が今も住まいとして維持されているのは嬉しい。 「ギャラリー ミヤシタ」も健在で安堵したが、残念なことに写真で目にしていた「円山時逍館」は今春という時差で取り壊されていた。 そして 旧桂田芳枝博士邸だった「櫻月(サクラムーン)」の閉店は、またいつかと思いつつ足遠になっていたのが悔やまれる。 窓越しに桜を愛でながら食事をしたいという願いは、もはや叶わない。 木々に覆われる白い瀟洒な洋館は、絵本の一頁のように幻想的な癒しがあった。
 帰る道々、往時の建物が失われゆく寂々たるおもいに浸され溜息をついたが、これが需要に対しての時流のさだめなのか、無力な一市民のカタルシスにすぎないのかと、現代の厳しい街づくりの底意を垣間見た気がしてならない。 〈N氏〉

▼「城下邸」、「ポチノ墓」、「櫻月」…遠足の中で、とくに印象深かった3件です。
 私は東京から札幌へ引っ越して一年の初心者ですが、北海道で気になる建物は どうも田上義也さんの設計、ということが時々あります。 とてもきれいに手入れされ、落ち着きと風格を持ってたたずむ「城下邸」には、一礼したくなるほどでした。もうひとつ、とりわけ札幌で気になる存在が札幌軟石の建造物たち。 石蔵に注目しがちですが、「ポチノ墓」は、その名の通りお墓。 かわいらしい大きさの軟石に味わいのある文字。 こうした ふと目に留まると「ふっ」と笑ってしまう風景に出会えるのも遠足の醍醐味ですね。 そして、レストランだったという「櫻月」。 数ヵ月前に初めて見たとき、説明抜きで一目惚れした建物です。 この建物が生き返るのを見たいなと思っていた折の見学でした。 もう無くなってしまうことが濃厚のようですが、建築好きの方々と一緒に あの光景を共有できてよかったです。
 これまでは建物のディテールに つい目が向きがちでしたが、遠足を通して街区や古道、邸宅の跡地の見方などを知ることができ、街を見る視点が増えました。 〈E氏〉

円筒形の外観が印象的な城下邸
南6条西23丁目 南円山のタイムズスクエア?
取り壊しが決まったというきゅえ桂田邸

▼北星には二年間、円山の自宅から通っておりました。 その当時お世話になったブラウン先生の写真を「旧宣教師館」で見つけて、バイオリンを弾いてくださったり 手作りクッキーをご馳走になったりしたクリスマスの頃を思い出しました。
 また、田上義也先生設計の「城下邸」は非常に美しい雰囲気でした。 移築される前の「小熊邸」が家の近くにあって、通るたびに同じように感じていたものです。 最近また円山へ戻ってきた私は、大正14年発行という『札幌郊外円山住宅地』のポスターを手にして、今回の“大人の遠足”に参加できたことを とてもうれしく思っております。 〈H氏〉

▼古い建物は好きで見て歩くことはしておりましたが、曲がりくねった小路が川の名残であったことや 真っ直ぐであるはずの街路が円山地区では ずれている理由などを知ることができ、とても有意義でした。 昔のことを知る方にエピソードをうかがえたことも 良い機会でした。資料の地図を持ち、もう一度歩いてみようと思っています。 〈O氏〉

▼円山町が札幌に組み入れられた昭和16年、私の両親は南6西22で新婚生活をスタートした。 幼い頃の私は病弱で、城下医院の丸い診察室の常連だった。 お尻にペニシリンを打たれた
 黒革の診察台や風格ある頑丈そうな机、水薬を受け取った窓口、いずれも往時のままに、二代目の先生が 遠くまで通えない年来の患者さんのため、近年まで夜間診療を継続してくださった。
 円山村の地割りの基軸としての「山根通」と、昔の川の流れを意識できたことは、遠足の最大の収穫である。 「MIRCH(ミルチ)」の西側辺りの敷地をはじめ、斜めの変形敷地や 不自然に曲がった道に出合うたびに不思議な気がしていたが、今では(エヘン!)斜めのグリッドと高低差のフィルターを通して 風景が自然に目になじみ、心落ち着く。 それにしても、山根通が南6条通と交差する三角地点を「タイムズスクエア」と命名した杉浦代表には敬服。実際、機能としても、あの場所にはブロードウェイ、タイムズスクエアに近いものがあった。 現在は花壇になっている八百屋さんを背にスクリーンが張られた野外映画会や、道幅いっぱいに六重にも広がった盆踊りの輪など、折々に私たちの心を浮き立たせ、街に華やぎを醸し出してくれたスポットである。
 閉鎖された「櫻月」には、仕事などで行き詰まった時に通った。 数学者で北大初の女性教授となられた桂田芳枝さんが住まわれていたところ。 店内で、その時代と パイオニアたるご苦労に思いを馳せては、密かに心を奮い立たせた。 建物と共に お庭の木たちも消えてしまうのだろうか。 世田谷区の 高群逸枝 住居跡は、メタセコイアのある庭を生かした小公園である。 故人が愛した庭からインスパイアされるものが確かにあり、子育てに奮闘した東京時代、私のオアシスだった。
 「円山時逍館」の跡地は既に マンション建設に向けて整地され、四季を彩っていた庭の樹木は跡形もない。 庭のある家が 敷地いっぱいに更地に化すのを見るのは 毎度切ない。 庭木の一部でも、後世の人につなぐことはできないものか…。 〈I氏〉

 

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